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余市蒸留所 その2

余市蒸留所 その2

2011/05/22

こんにちは松岡です。
前回に引き続き、余市蒸留所の見学レポートです。

今回は、ウィスキー造り関連施設以外の建物をレポートしたいと思います。
竹鶴政孝のウィスキー造りに取り組む姿勢を学んだり、竹鶴政孝・リタ夫妻の当時の生活が垣間見られたりと、とても興味深い展示物がたくさんありました。

 

こちらはリタハウスです。昭和6年の建造で、現在は老朽化のため建物内部をご見学することはできませんでした。数年前まではティールームとして利用されていたそうです。中には、竹鶴政孝とリタ夫人のツーショットのステンドグラスがあると、マスターが言っていました。

旧竹鶴邸です。竹鶴政孝がリタ夫人と共に住んでいた住居を、余市町の郊外山田町から工場内に移築し、復元したものです。玄関ホールと庭園のみ見学できます。スコットランドから嫁いできたリタ夫人のため和洋折衷の間取りや様式を取り入れているそうです。

ウィスキー博物館です。このウィスキー博物館ではウィスキーの歴史や試飲(有料)などが楽しめます。中でも竹鶴とリタの出会いやその生涯にわたっての思い出の品々などの展示が印象的でした。

1918年25歳でグラスゴー大学の応用化学に留学し、そのすさまじい熱意で徹底的に勉強し色々な蒸留所で実習を重ねていまきます。
そんな時柔道を通じて開業医一家と仲良くなります。その3姉妹の長女がリタことジェシー・ロベルタ・カウンだった。竹鶴はカウン家に通い、柔道を教えながら、次第に一家の人々との交流を深めていきました。

その年のクリスマス、竹鶴はカウン家のクリスマス・パーティに招待されます。そこで2人の将来を決定づけるプディング占いというものが行われます。大きなプディング・ケーキの中に新しい6ペンス銀貨と裁縫の指貫が埋めこまれており、切り分けるとき、銀貨が入っていれば金持ちに、指貫が入っていた女性はいいお嫁になれるというもので、その際、もし女性に指貫、男性に銀貨が入っていれば、二人は将来結ばれるというものでした。この時リタに指貫、竹鶴に銀貨が当たり、これをきっかけに2人は結ばれます。

留学を終えた竹鶴はリタとともに帰国し、1934年にスコットランドと気候風土がよく似た余市に蒸留所を建設します

後にイギリス首相から「万年筆一本で我が国のウィスキーの秘密を盗んでいった青年がいた。」と皮肉とユーモアたっぷりに称賛されたそうです。

2回に亘って余市蒸留所の見学報告をしてまいりましたが、
日本のウィスキーの歴史でもあり竹鶴政孝の歴史でもある余市蒸留所を実際に見学できたことは、私のジャパニーズ・ウィスキーに対する価値観が大きく広がった体験となりました。
そして時がゆっくりと流れているかのようなこの空間で過ごした休日は、本当に癒されました。
また機会があれば訪れてみたいです。

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